2009年02月12日

かまぼこ板

久しぶりに蒲鉾を食べたのでかまぼこ板が残った。

先だって、高知出張があったときに、
高知駅で見かけて購入した蒲鉾で
なんでも刺身用とかいう事でえらく高かった。

たった1個で500円ほどしたように記憶する。


さて、かまぼこ板が残り
それを残そうとしている自分に気がついた。
(まあ、自分は、なんでもとっておきたがる のではあるが)

昔(子供時代)こういうものは案外普通に
どこの家庭でも、「何かに使える」と
とって置いたものではなかったか。

小学校の授業でも、
かまぼこ板をつかった工作なんてのがあったような気がする。
それだけ一般的だったということだろう。


さて、そうやって残すと考えてみて
使い道にどうにも思い至らないように思った。

あんなちっちゃな板、
それほど実務的な使い道があるものではない。

そうしてみると、
昔にはものを大事にした(「何かに使えるかもしれない」意識)
という事がいまさらのように実感できる。

そうして、この
「何かに使えるかもしれない」という思いが
今の日本を作ったのではないかという気もする。

つまりは、「何かに使えるかもしれない」という思いは
「何かに使おう」と工夫の意識を持つわけなのだが
日本におけるQC活動(あるいは小集団活動)の活況は
これなくしてはなかったのじゃないかと思うわけである。
posted by 得鰤日 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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